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水戸地方裁判所 昭和35年(わ)407号 判決

被告人 佐久間紀昭

昭一五・一一・七生 農業手伝

主文

被告人を懲役三月に処する。

但し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

右猶予期間中被告人を保護観察に付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十五年十一月七日午後十一時五十分頃、水戸市裡五軒町地内に置いてあつた石川哲次郎所有の小型自動四輪車茨四す四八八八号を無断で法令に定められた運転の資格を持たないのに拘らず、同地内道路より東京都に向けて運転進行し、翌八日午前四時三十分頃までの間、土浦市を経て東京都内に入り、更に水戸市大工町地内道路上に戻る迄の往復約二百キロメートルの道路上を運転し、もつて無謀な操縦をなした

第二、前記八日午前四時三十分頃、前期大工町地内道路上において、前記自動車を操縦進行中自己の過失により該自動車を横転させ、よつて同車並に街路樹一本を押し倒して夫々破壊せしめたのであるが、そのままこれを放置するときは該道路上の爾後の交通を相当程度危険ならしむる状況に在り、従つて操縦者たる被告人は法令に従つて右道路における危険防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講じなければならなかつたのに拘らず、狼狽してそのまま下車逃走し、右必要な措置を全然講じなかつた

ものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

罰条

第一、昭和三十五年法律第百五号道路交通法附則第十四条、昭和二十二年法律第百三十号道路交通取締法第七条第二項第二号(第九条第一項)、第二十八条第一号(懲役刑選択)

第二、昭和三十五年法律第百五号道路交通法附則第十四条、昭和二十二年法律第百三十号道路交通取締法第二十四条第一項、第二十八条第一号、同法施行令第六十七条第一項(懲役刑選択)

併合罪加重

刑法第四五条前段、第四七条本文、第一〇条(犯情の重い第一の無謀操縦の刑に法定加重)

刑の執行猶予

刑法第二五条第一項

付 保護観察

刑法第二五条ノ二第一項前段

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(1)昭和二十二年法律第百三十号道路交通取締法(以下旧法と称す)の施行令第六十七条第二項において、操縦者に対し事故の内容を警察官に報告する義務を課し、これに違反したものは同法第二十四条第一項、第二十八条第一号により刑罰を科する旨の規定は、憲法第三十八条第一項で定めた黙否権の保障に牴触する違憲のものである。従つて本件起訴状記載の第二訴因において、被告人が惹起した交通事故を警察官に届け出なかつたとの点は処罰規定が違憲であるから当然罪とならないものである。(2)仮りに違憲でないとしても、右第二訴因は被告人が操縦していた自動車の損壊に止まり、人の殺傷、他人の物件の損壊は最初は摘示されて居らず、又本件事案の内容においても街路樹の点は破壊とは云えない、而かも、本件自動車の損壊はガラスがこわれバンバーが曲る程度の極めて軽微なる損壊に過ぎない。かかる場合は、旧法第二十四条第一項違反の罰条たる同法第二十八条第一号を適用して三箇月以下の懲役、五千円の罰金又は科料に処すべきものではなく、同法第二十五条違反としてその罰条たる同法第二十九条第一号により三千円以下の罰金又は科料に処すべきものである。同法第二十四条は所謂交通事故による轢逃げを処罰する規定であり、交通事故とは、独逸の標準的刑法解釈によれば「道路上の交通において人の死傷又は相当程度の物件損壊を生じた場合である」とされ、我国においても旧自動車取締令第二十五条にこの趣旨の規定が採り入れられ、それが旧法の規定となり、更に現在の道路交通法に引継がれている。従つて物の損壊があつたとしても、相当程度以下の軽微な場合ならば警察官に報告しなくとも刑罰には触れないのである。然して旧法第二十五条に基く同法施行令第六十八条第七号によれば「交通の妨害となるような屋台その他の物件を放置すること」は旧法第二十九条第一号によつて三千円以下の罰金又は科料に処すると定められて居る。然るに本件自動車の損壊は極めて軽微なものであるから、旧法第二十四条には該当せず、旧法施行令第六十八条第七号の「その他の物件を放置すること」に該当するものと解される。尚、旧法施行令第五十九条第二項に基く、運転免許等の取消、停止又は必要な処分を行う場合における基準等を定める総理府令第五条によれば、免許等の停止の処分は、別表第一に定めるところにより、過失により自動車等によつて人に傷害を与え、又は物を損壊したときに行う旨が定められているが、右別表第一には物を損壊したときとして、相手方の物に与えた損害の程度により免許等の停止期間の長短が定められてはいるけれども、自己が操縦していた自動車等即ち自車の損壊のみがあつた場合については何等規定されていない。されば、旧法第二十四条の「物の損壊」の中には自車は含まれないのではないかとさえ考えられる。仮りに反対に含まれるものと解しても、かかる規定のあるところから推理すれば、旧法第二十四条第一項の「物の損壊」とは相当程度の損壊でなくてはならないことが尚一層明らかである。従つて本件第二訴因に対する罰条は検察官の主張するが如き旧法第二十四条第一項、第二十八条第一号の重い罪でなくして旧法第二十五条、第二十九条第一号の軽い罪であると主張するので、これに対する当裁判所の見解を次のとおり説示する。

(一)  憲法第三十八条第一項の「何人も自己に不利益な供述を強要されない」との規定の意味は既に昭和三十二年二月二十日最高裁判所大法廷において「憲法第三十八条第一項は、何人も自己の刑事上の責任を問われる虞ある事項について供述を強要されないことを保障したものと解すべきである」と判示されている。当裁判所は、同規定の出来た由来と、同法第二項、第三項が自白についての規定であること並に最高裁判所が昭和三十一年十二月二十六日大法廷において、外国人登録令違反被告事件につき、「外国人は不法に本邦に入つた者といえども、外国人登録令(昭和二四年政令第三八一号による改正前のもの)第四条第一項所定の登録申請義務がある。不法入国の外国人に対し右登録申請義務を課したからといつて、自己の不法入国の罪を供述するのと同一の結果を来すものということはできない。」と判示している点を綜合して考えるに、憲法第三十八条第一項の趣旨は、供述を求むる者において供述者の犯罪の有無を追及することを直接の目的としている司法手続の場合は勿論、やがてかかる司法手続に法律上移行すべき手続的構造を持つ行政手続においても、何人も自己の刑事上の責任を問われる事項につき直接証拠となるべき内容について、その供述を強要されることのないことを保障した規定であると解する。従つて旧道路交通取締法第二十四条第一項に基く同法施行令第六十七条第二項に謂う「事故の内容」なる文言が、若し操縦者の過失事犯等刑事責任を問われる事項の直接証拠となるべき内容まで報告せしむることを目的としているものと解すべきであるとすれば、勿論この規定は違憲たるを免れない。然し「事故の内容」なる文言を抽出してこれを独立的に考えることは、法文の真の意味を誤解せしむるものであつて、同令同条の文言全体を全一的に素直に読み下すときは、その法文の意味するところは、操縦者をして被害者の救護及び道路上における危険防止その他交通の安全を図るための必要措置を充分に行わしめるために、先づ操縦者に右必要措置を講ぜしめ、これが措置を終えた後に、警察官に事故の内容とそのとつた措置を報告せしめ、若しその措置にして不十分の場合には警察官の指示を受けしめ、更に必要な措置をとらしめんとする趣旨の規定であつて、操縦者の犯罪の証拠を蒐集せんとする趣旨の規定でないことは明らかである。従つて事故の内容を報告せしむる目的は、警察官をして、更に操縦者に対し、被害者の救護及び道路上における危険を防止し、交通の安全を図るにつき必要な措置をとるように指示を与えるべきか否かを判断するに足るだけの資料を報告せしめんとするに在るのであつて、その場合操縦者の過失事犯等の直接証拠となるべき内容まで報告せしめなくとも、被害者の救護及び交通の危険を防止すべき緊急状態の措置をとるためには充分間に合うことは明らかであるから、「事故の内容」なる文言をもつてかかる犯罪の直接証拠まで報告することを目的としているものと解するのは失当である。従つて同令同条は全体的にも部分的にも違憲ではない(昭和三十四年十一月二十五日大阪高裁第一刑事部判決参照)

(二)  尤も本件においては、本件の交通事故を起した際、その現場には警察官が居らなかつたことは記録上明らかであるから同令同条第一項によつて警察官の指示を受けるべき場合に該当せず、又操縦者たる被告人は本件交通事故を起すや直ちに下車逃走し、道路における危険防止等の措置を全然とらなかつたことも記録上明らかなところであるが、同令同条第二項では操縦者は道路における危険防止等の措置を終えた場合において、警察官が現場にいないときは事故の内容及び操縦者がとつた危険防止等の措置を所轄警察官に報告せねばならぬ旨が定められているのであるから、何等危険防止等の措置をとらなかつた被告人においては右の如き報告義務は課せられていないことが明らかである。されば判示の如くこの趣旨により訴因を縮少して事実認定をした訳である。従つて本件は直接違憲の問題には関係がないようにも考えられるが、若し同令同条が全体として違憲であるとすれば、問題は自ら別であるが、違憲でないことは前叙のとおりである。

(三) 旧道路交通取締法第二十四条第一項及び同法施行令第六十七条第一項に謂うところの「車馬又は軌道車の交通に因り人の殺傷又は物の損壊があつた場合」における「物の損壊」とは、車馬又は軌道車の交通に因り道路における危険防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講じなければならぬ程度に物が損壊した場合を指すものと解する。これは旧道路交通取締法第一条及び同法第二十四条第一項並に同法施行令第六十七条の目的論的解釈として当然導かれる結果であると考える。而してその物の損壊は自車のみの損壊であつても、それが道路における危険防止等の措置を講ずべき緊急状態を生ぜしめているならば、かかる措置を講ずべきことを操縦者に要求することの必要性を否定すべき理由は考えられない。従つて右法条に謂う「物の損壊」中には自車のみの損壊も含まれる場合もあることとなる。運転免許等の取消停止処分等の基準を定めた総理府令第五条に過失で物の損壊を生ぜしめた場合に自車のそれを掲げていないことは弁護人の所論のとおりであるが、これは運転者の運転免許等の停止処分を定めるにつき必要な基準と考えられるものを掲げたに過ぎず、自動車の交通に因り道路における危険防止等の緊急措置を必要とする場合とは自ら観点を異にするので、旧道路交通取締法第二十四条第一項、同法施行令第六十七条第一項とは何等関係なきものと解すべきである。従つて本件自動車の交通に因る損壊が道路における危険防止等の緊急措置を必要としたか否かにつき案ずるに、本件自動車が被告人の運転操作の過失に因り道路上に横転したことは記録上明らかなところであり、右法条に謂う「物の損壊」とは右緊急措置を必要とする状態にある以上、必ずしも物の物質的破壊あることを必要とせず、その本来の目的に使用することができない状態に至らしめられて居れば足りるものと解すべきであるから、本件自動車が道路上に横転したことのみでも右法条の「物の損壊」があつたものと認むべきであるが、本件においては更に、昭和三十六年二月十一日附捜査報告書及び佐藤なつの検察事務官に対する供述調書によれば本件自動車内の座席は目茶目茶となり、後部バンバーは折損する等約損害十万円に及ぶ損壊があり、その他街路樹一本が押し倒されたことが充分認められるのである。従つて、本件自動車の物質的破壊も決して軽微ではなく、相当程度の損壊であり、且つ道路における危険防止等の緊急措置を必要とした状態に達していたことも充分認められるところである。

されば本件第二訴因が判示の如く認定される以上、これに対する適用法条は旧道路交通取締法第二十四条第一項、第二十八条第一号、同法施行令第六十七条第一項であり、弁護人主張の如き法条をもつてすべきではない。結局弁護人の主張は理由がない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 田上輝彦)

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